高瀬 豪太

(後編)


うちの商品はドレスや
タキシードにも 合わせて欲しい。

J えー、話がハードコア方面に行ってしまったので、戻します。(笑) さっきから、作風・オリジナリティの話が続いてますけど「あの人が作る世界」とか言われるような人って、なんかいいですね。
T 僕の作風ってね「かわいらしい」っていわれるんですよ。(笑) 僕自身は「不良系」のデザインにも憧れていて「作りたい、作りたい」って思うんですけど、結局はどっちかっていうと、女の子っぽいっていうかファンタジーというかね、やわらかい感じになってしまうんですよ。最近はこれがうちの作風だと思うんですけど、でも(不良系デザインに) 憧れてます。(笑)まあそれはいいとして、(笑) インタビューとかでよく言ってるんですけど、うちの商品はタキシードやドレスにも合わせて欲しいんですよ。あまりカテゴライズされてしまうのはイヤですね。
J 今を感じる意見ですね。ところでSUNSHINE工房はどんな客筋なんですか?
T うちは90%女性ですよ。
J え!そうなんですか。いいですねえ。そういえば女子大生が一杯その辺、歩いてました。(笑) でもインディアンジュエリーって男の物じゃないんですか?
T インディアンジュアリーとは捉えていないんでしょうね。単にアクセサリーとして考えているだけで。
J それ最高ですね。
T カテゴライズされないと言う点でいいと思います。
J 女の子に「あーこのデザイン、カッコイーとかカワイイ」とか言われるのは最高だと思いますよ。普通にしてて、それだけ女の子に支持されるというのは、それだけ肩の力が抜けてて遊べてるってことでしょ。僕も「j-in」もっと女の子に読んでもらいたいですもん。(笑)
T そう思ってるんですけどね。女の子に来てもらえるお店作りというのは・・・、やっぱりマニアックになればなるほど、女の子は遠のいて行きますからね。
J 僕は「あー男向けの店やな」と思って入ってきたんですけど。(笑)
女性の話が出たんで女性読者強化月間ってことで(笑) 奥さんとのことを伺いたいんですけど、奥さんとは向こう(アメリカ)で知り合われたんですか?
T そうです。
J で、向こうで結婚したんですか?
T 結婚式は日本ですけど、結婚生活は向こうでしたね。アメリカで知り合って、一年間程付き合ってカミさんは一度、日本に帰ったんですよ。語学留学してたんですけどね。それで2年程、遠距離交際をして、結婚しました。
J お子さんは、どっちで生まれたんですか?
T アメリカですね。
J 奥さんと結婚されたことで、作品になにか変化が出ました?
T 別に無いです。(笑) どっちかというとカミさんのほうが、こっちに影響されたんじゃないですか(笑) カミさんは、もともとすごいお嬢さんで・・・なんせ古着とか一回も着たことない人だったから。だから僕と一緒に古着屋さんに行ったりすると、店に入ることすらイヤがってましたから。「匂いがイヤ」とかで。
J キレイめファッションの人なんですね。
T ええ。どっちかというと、芦屋っぽい感じ。
J 髪の毛、内巻き系・・・(笑) で、奥さんとはどうやって知り合われたんですか?(笑) 女性読者強化月間です!
T (苦笑) 僕のルームメイトが彼女と同じ学校だったんですよ。で、ある時「家でパーティーをしよう!」ってなって、そのルームメイトが女の子を連れてきて、その子と一緒に来たのがカミさんだったんですよ。
J 第一印象はどうだったんですか?
T うーん、僕は特にどうこう思わなかったんですけど、カミさんは「なんて失礼な!(人)」って思ってたらしいですよ。(笑) じつは次の日に、僕の車で海に行ったんです。で、砂浜でカミさんがビキニを着てたんですよ、金色の。そこで僕が開口一番「似合わないね!」って言ったんです。(笑)
J フフフ・・・(苦笑)
T その時は「あーそう」って言ってたんですけど、内心「気に入って着てるのに、なんて失礼な!」って思ってたらしいですよ。(笑)
J よくそういう話、聞きますよね。「第一印象は最悪」とか。それが、なんで付き合うようになったんですか?
T 結構、僕が押しまくって・・・そんな感じで。
J (血液型)B型攻撃ですね。思い込みで突っ込む(笑)
T (苦笑)結構、惚れっぽい性格なのは確かですね。あんまり、この辺の話はしたくないなあ。(笑)
J それでは話を仕事に戻しましょう。(笑)  SUNSHINE工房の作品は、今後も自然の中にあるものがモチーフになり続けるんでしょうか?ここは日本だから、アメリカとは違う動物や植物があるじゃないですか?例えば、松が出て来るとか。
T それはないと思いますよ。(笑) そりゃ「作ってくれ」って言われたら、それなりに作りますけど。自分で「松がええなー」と思うのはちょっと、そこまでの領域にはまだなれないなあ、と思います。
J 富士山の前に鳥居があってとか。(笑)
T そういうのは、ないですね。(笑) やっぱり好みがあるし、どっちかっていうとアメリカに惹かれてる面がすごいあるし。アメリカの昔の絵とかも、すごい好きなんで。そっちがベースになってると思います。
J 子供の時に図画工作とかで、常に作っていたものとかありますか?よくテストの裏に、いっつも同じ絵を描いてたヤツとかいるでしょ。(笑)
T 小中高とアートはずっとやってたから、絵を描いたりするのはスゴイ好きでした。なんか物語っぽいものを描くのが好きでした。例えば絵を描いてて、ここに人間がいて、物語的に今度はなになにが来て、これはこうなってこうなる。とかいうのを一枚の絵にどんどん書き込んでいくっていうのが好きでした。
J 頭の中でそういうストーリーを想像して描いて行く訳ですか?
T そうですね。なんか演じるものが、ものすごくすごく好き。自分の頭の中で空想がボワーッと広がっていくのがスゴく好き・・・1個のものから。それが出てきて、これはこういうふうな人で、それにサブキャラでこんな人が出てきてっていう感じ。多分、その辺がずーっと今(の発想の原点)にきているのかも知れない。 リングのデザインをするにしても、例えば動物の絵から描きますね。まず動物の絵を描いといて、それに対してリングの幅が決まってきて、でリングが出来上がる。入れるものから描いていくんです。あんまりリングを描いてから、それにどうやって柄を付けようかとは考えていない。入れる動物なんかの柄がバシッと決まると、そこからトップならこうだし、リングならこうだっていうふうに、柄が決まれば入れる場所とかも決まってくるんですよ。バランスの問題もありますけど。リキさんがそうなんですよ。リキさんの打ち込みに関する正確さっていうのは「ここにしか入れられない」っていう所に正確に入れてくるんですよ。リキさんは必ず。
J 構図として?
T そうです。
J ネイティブの方が皆さんの作品を見て、やっぱり「日本人だなあ」と思うんですかね?
T ネイティブの友達とかは僕の作品が好きで、買わないんですけど持っていくんです。「ちょうだい」って。で、あげたりして。結構みんな、なんだかんだ言って 気に入ってくれてるみたいです。やっぱり彼らの作るものとはちょっと違う、考え方がちょっと違うから見方も違うし。
J そういう認識はあるんですね。技術は自分達と同じもの、ただ感性が違うから処理の仕方が違ってくると。日本人の和食の盛り方とかあるじゃないですか?アメリカなら寿司でも皿の上が見えないように盛りますよね。日本ならイキに真ん中にスッと置く、みたいな。
T そういうのはありますね。向こうも違うもんだとは思ってるでしょうし、違う所から見てるんだと思ってるでしょう。でも結構気に入ってくれてますよ。よく「飴と交換」とかで飴もらったりとか。(笑)

子供の頃?けっこう怪しいです。
LA時代はハードコアなスケーター達にやら れちゃいました。
J 「かわいい」作風の高瀬さんですが、(笑) 子供の頃はどんな感じでしたか?
T 一人で遊ぶのが好きでしたね。うち、おばあちゃんの家の敷地内に家が二つあって、おばあちゃんが片一方に住んで、もう片方にうち等が住んでっていう感じだったんです。親父が商売やってて結構でかい家だったんで、庭もかなり広かったんですよ。家の周りが全部庭だったんです。で、いるのはおばあちゃんとお手伝いさんが一人いるだけで、親父と母ちゃんは仕事に行ってて、兄貴も学校に行ってるんで結構一人だったんです。それで、おばあちゃんと遊ぶわけにもいかないんで、一人で庭で遊ぶことが多かったですね。
J 一人で、どんな遊びしてはるんですか?
T けっこうね、怪しいんですけど、(笑) 自分でストーリーを考えながら何かを動かして遊ぶのが好きで、例えば人形にしてもそうですけど。なにかしら物語があって、それに準じて遊びがあるって感じ。
J 他には何を動かして遊ぶんですか?(笑) ミニカーとかで「ブーン!」とか?(笑)
T あーそんな感じです。(笑) 昔、ミクロマンとかあったじゃないですか?そういうものとか。後はデカい庭だったんで夏になると、セミの抜け殻が一杯あるんですよ。それが何百個ってあるから、それで遊んだりして。かなり暗い少年でしたね。(笑)
J 一人で遊ぶっていうのは、そういうことですよね。でもそれ、さっき作品のアイデアでの過程で「ストーリーを作って・・・」っておっしゃったじゃないですか?
T それには通じてますよね。
J そうですよね。
T そこで養ったと言えば、そうなのかもしれませんね。(笑) ノートとかにひとつの絵を描いて、それに物語が付いてどうのとか、新しいもの付け加えて話を進めていくとか。その辺の習性は小さい頃に遊んでた時のものだと言えますね。一人で遊ぶの得意なんですよ。一人になっても寂しくないし、みんなと居るときは、それはそれで楽しいですけどね。
J 野球とかサッカーとかチームでやるスポーツはどうですか?
T 苦手ですね。(笑)
J やっぱり。(笑) 自転車とかスケボーもそうですけど、一人でやるやつがいいんですね?
T そうです。(笑) 一人で、好きな時に出来てっていうものが一番楽しいですね。団体競技は苦手です。でも昔、少年野球に入ってたんですよ。でも足がメッチャ遅いんですよ。それでやっぱり・・・。
J 子供の頃は、趣味ってありました?
T いや、うーん・・・。
J ミクロマン集めてたとか?
T 収集癖はありますね。
J なにを集める?
T 切手から始まって、なんでもです。切手は親父が好きだったんで。親父がいらなくなったものを貰って集めたり。小学校高学年になってきて徐々にレコードを買い始めて、中学に入ってかなりレコード買って、スケボーを始めて。
J スケボーを集めたりはしなかったんですか?
T は、ないですね。やる為に買う。
J 音楽は前におっしゃってたけど、なんのジャンルが好きなんでしたっけ?
T 基本はソウルです。横浜にいたんで。高校時代はTHRASH METALとかも聞きましたけど。
J 30(才)前半で基本はソウルと言われると、横浜ってやっぱり特殊な土地柄なんですかね?
T 遊ぶ人達によると思います。遊ぶ人達が普通だったら普通になる。特殊な人達と遊んでたから、それの影響をすごく受けたんでしょうね。
J 特殊な人達というと?
T 例えば、波乗りやってる人達とか、スケボーやってる人達とか。あと元町でお店やってる人達。あと今で言う業界の人っぽい人が多かったんで、そういう人達の影響を受けました。
J そういった人達との出会いは、どこであるわけですか?スケボーですか?
T そうですね。スケボー、波乗り、波乗りは中一から中二で、中三くらいからスケボーにいって、スケボーは前からやってたんですけど、本格的にやりだしたのは中三からです。その中三から高校三年間でのサブカルチャーとの出会いが今の基礎を築いてる。自分のスタイルっていうか、その頃から変わってないですから。
J サブカルチャーというのは、やれサイケがなんだ、ヒッピーがどうしたとか、そういうアメリカ西海岸のものですか?
T そうです。でもサブカルチャーの定義も結局、時代によって微妙に違うと思うんです。僕より上の世代の人は、70年代のサブカルチャーの影響を受けてるから、今、言ったヒッピーとかそういう関係のものになるんでしょうけど、僕なんかは、西海岸ですけど、もうちょっとスケーターのハードコアな連中のカルチャーの影 響が強かったから、その辺ですね。
J LA時代にDOGTOWNの流れの人と向こうで滑ってたという・・・。
T ああ、ALVAとかその辺の人・・・仲間内じゃないですけど、滑ってる所が同じなんで常に近くにおるって感じで。
J DOGTOWNは80年代前半に日本にも紹介されましたよね。で(アメリカに)行かれてたのが・・・。
T 80年代後半から90年初期にかけてです。
J 日本でもDOGTOWNはガーンと来て。
T ええ。その後だったんで、やっぱり見る人、見る人憧れの人ばかりやから、みんな顔知っている人ばっかりで。CHRISTIAN HOSOIとか、普通に横走ってるし。その環境はかなりカルチャーショックでしたね。
J すいません、仕事柄(広告会社)どうしても物事をカテゴライズしてしまうんですけど、いわゆるジュエリーだと。ジュエリーをしてる人と言えばハーレーだとかね、そういう繋がりを想像するんですけど、スケボーやってる人がインディアンジュエリーだというのがね、すごくカッコイーんですけど、どうしても僕なんかはインディアンジュエリーというとゴローさんだ、リキさんだというのがあって。あの人達は横ノリの匂いはかけらもないでしょ?いや別にいいんですよ。僕もハーレーに憧れたクチなんで。でも「いやーDOGTOWNです」みたいなことを聞くと、ニュージェネレーションだなあと思ってしまいますね。
T ああ、なるほど。そうですかね?

別に出来たものがネイティブに見えなくてもいい。
自分のベースがネイティブならば。
J そんな第二の故郷とも言えるサンタモニカで、念願の工房をオープンされた訳ですが、このSUNSHINE工房という名前はやっぱりアメリカで立ち上げたから、日本人ってことで「日出ずる国」のイメージで付けたんですか?
T 名前自体は、僕の友達でインディアンなんですけど、その子のお母さんが僕につけたニックネームです。そのお母さんに「豪太っていうのは、どういう意味なのか」って聞かれて「豪」っていうのは「強い」とか、あの時言ったのは「グレイトフル」って言ったんですけど、そういう意味合いで「太」は「太陽」の「太」って説明したら、そのお母さんが言うには僕が周りの人に与える影響っていうか、そういうのを全部含めて「SUNSHINE、日の光」と付けてくれたんです。これは別にインディアンネームじゃないんで。
J 単なるニックネームですね。
T そうです。そのニックネームをそのまま取って「SUNSHINE工房」としました。
J それで帰国して、(横浜出身なのに) なぜ岡山なんですか?
T うちの家内のお父さんが銀行にいて、定年退職でこっち(岡山)に来るっていう予定で・・・で「一緒に住まへんか」って言われて。もともとが日本との仕事だったんで。「それやったらええわ」って感じで。で、こっち来たんですけど。
J アメリカから帰ってきたら、日本のどこに住んでも別に関係ないんですよね。
T そうですね。僕的には別に「住む」ということに関しては変わらないですね。アメリカでも日本でも。結局アメリカにも日本にもそれぞれ良い所、悪い所あるし。でも行政関係的に考えたらね、(アメリカに居るのは)めんどくさいはめんどくさいし・・・。
J 僕はどうしても(職人は)人里離れて打ち込むというイメージがあるんで。岡山の美作といえば山の方でしょ。やっぱりそんな発想かなと思って。
T そうですね、それはありますけどね。(それもあるけど)アメリカに住んでいると田舎の方が住みやすいんで。もう値段が全然違いますからね、なんに関しても。
J ああ、そういう現実的な話なんですね。
T そうです。ものすごい現実的な話です。
J 制作環境とかいう・・・(ことよりも)
T それもありますけど、横浜で仕事場を探すっていうのはすごい難しいんですよ。騒音問題とか。田舎の方だったら周りになんにもないですから。
J ここ(岡山駅裏、奉還町商店街の奥にある工房・教室兼SHOP)は借りてらっしゃるんですよね。
T ええ、そうです。今、美作の方は閉めてはいないんですけど、こっちに全部持ってきてるんで。
J で、こっちで教室を(平日は)夕方から夜までやって、昼間は制作にあててる訳ですね。で、仕事が終わったらASPOでスケボーと。(笑) 最後に、SUNSHINE工房としての最終目標は、なんでしょう?「ジュエリー作家として作家性を高めていきたい」って感じなのか、鑑定士の免許を持ってるとかいうプロフィールを聞いてるともっとビジネス寄りの目標があるのか・・・。
T あんまり商売的には考えていない気がします。店を大きくして、次々計画してっていう感じじゃないですね。どっちかというと「遊び的」な面が強いです。自分である程度お金があって、自分が好きな方向性のものをちょこっとしてみたい。そんな感じですね。あと、向こう(アメリカ)の彫金用の工具とかも販売したいですね。ほら向こうのマシンってカッコイーでしょ?こっちでは考えられないような所にアルマイト加工してあったり。(笑) アメリカでSUNSHINE工房を開いた時分は、ものすごく色んなことを考えていて、ものすごくストイックなことも考えていたんですよ。「こうあるべきだ」とか「こういうものを作るときは、こういう精神状態でなければならない」とか。で、あるとき「なんで、そこまで(気持ち・精神を)強くしなければいけないんだろう?」と思って。結局強くすると、他のものが見えなくなるということになりがちだから。その自分が見ている点が、本当にベストな所なら問題ないですけど、全然違う所を見ているのに、それに凝り固まったりして。そんなときに、ふっと「あーこんな考え方はよくないんだなあ」と思ったんですよ。もっと回りを見るようにして。そうすることによって肩の力が抜ける。そうすると「SUNSHINE工房は、ネイティブでなければいけない」というのが「なんで?」っていうことになるじゃないですか。「別にネイティブでなくてもいいやん」ってなるでしょ。自分のベースがネイティブだと思って作っていれば、例え、そこから生まれるものが違っていても、それは自分のものだと。無理にネイティブに近づけていくとデザイン的にもおかしくなってくるし。
   

(後編終了)


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