タロヲ(本名:細川 太郎)

(後編:社会人生活スタート〜軍艦島制作秘話)


最初は「HTML? なにそれ?」
って感じだったんですけど。

J 広告代理店とカバン屋さんを受験ですか? なんか全然関係ない業種ですね。(笑)
T モノを作れるところが良いかなと思って。ジャンルは関係無しにね。ただ、大阪勤務のところばっかりを考えてたんです。ところが大学の同期の女の子の知り合いで、東京でMACを使ってDTPとかをやってる人がいて、その人に会わせたいっていう話が持ち上がって。僕も内心「東京で仕事が出来ればいいなあ」と思ってたんで。それに親父にも「一度は東京で仕事をしなきゃいかん」って言われてたし、広告の出広量も東京の方がデカイし。それで、その人と会ったんですよ。そしたら、その人が僕の作品を気に入ってくれて「じゃ、一度社長に会わせよう」っていうことになって、その後はトントン拍子で進んで。もう一般の就職活動の時期の前には決まってたんですが、その社長から「俺としては、すぐにでも採用したいんだが、他の社員の手前もあるから一応ちゃんとした手続きを踏んで就職活動はしてくれ」ってことで、その会社の内定は貰いつつ他の会社も受けてました。でも、その会社は、そんなに大きい会社じゃないんですが、1年目からガンガン大きい仕事を振ってくれることは判ってたんで、そのまま入社して社会人生活が始まったんです。
J それが今の会社ですか?
T いいえ、前の前の会社ですね。というのが、僕が入社した時期からインターネットが(世の中に)広まりだしたんですよ。それで「細川、お前広告じゃなくてウエブをやらないか」ということになって、最初は「HTML? なにそれ?」って感じだったんですけど。それから1年くらい経って、僕の所属してたチームごと、別の会社に引き抜かれたんですよ。そこで3年間くらいやって、そこから更に独立した会社が今のところになるんです。もっとも最初の会社の上司が今も上司なんですけど。
J あの時代は、どの会社もサイトを作らなきゃダメだということに気付きだして、名刺にURLとメールアドレスが入ってないと話にならんという風潮に急激になっていった頃ですよね。
T そうです。それで、ようやく軍艦島の話になってくるんですけど、さっき言いました様に、インターネットの部署に配属されてからHTMLを勉強することになったんで、まず仕事の合間を使って自分のホームページを作ろうということになったんですよ。そこで大学時代に行って撮影した軍艦島の写真があったんで、それを載せて軍艦島の超初期バージョンを作った訳です。クリックしたら軍艦島の写真が出て、左にフレームがあって、数字を押すと写真が出てきてっていう簡単なやつです。それでリンクの仕方とか画像の表現の仕方とかをマスターしていったんですが、個人的にもウエブって面白いなあと感じてたので、軍艦島と並行して日記コンテンツも書き始めて。それも単なる日記じゃ面白くないので、自分の昔のバカ話とか身内のアホ話とかを書いてたんです。そしたらいつしかそっちの方が受けちゃって、アクセスがどんどん増えるようになって、コンスタントに1日 100アクセスくらい行きだしたかな? (サイトを)作って半年くらい経った時なんですけど。
J 侍魂」みたいなテキストページですか?
T そうです。画像は使わないでテキストの大小だけで。笑いの間とかを意識させながら読ませるサイトです。
J 行間とか文字の大きさとかで・・・
T ええ。当時、みうらじゅんさんが「マイブーム」っていう言葉を流行らせたでしょ? だから、あの頃(97年頃)のサイトって「僕の、私のマイブーム」っていうコンテンツが多かったんですよ。僕は人と同じことは言いたくなかったので「each boom」(j-in 注:each=個々の、めいめいの ※このサイトは現在はblogになっています)という造語を自分で考えて、それをコンテンツにしたら皆が掲示板とかで「イーチ、イーチ」って話題にしてくれて、リンクを張ってくれる時も「タロヲさんのeach boom は、必見!」なんていうコメントをしてくれたりして。その頃、毎日ヒット数が100〜200くらいあったんで自費出版の話が来たり、コラムのようなモノの依頼が来たりしたんですよ。だからという訳じゃないですが、当時から漠然と「デザインが出来て文章も書けるデザイナーは、あんまりいないから、その辺を狙ってみようかな」とは思っていました。
J それは、職業的な部分でそう思ったんですか? それとも個人的な部分で思ったんですか?
T 職業とか関係なく、自分のキャラというか立ち位置としてです。世の中には、すっごいグラフィックでカッコイー、サイトを作る人はいるんですけど、そういう人って「何故そういうサイトを作ったのか」に対する言葉が無い場合があって、何を考えているのか判らなかったりするんです。自分の場合は大学で卒論を書くとき文章の書き方も教わったし、昔から作文を書くのが好きだったりコラムやエッセイが好きだったりしたので、それを何とか融合させるような形を狙ってました。
J ところで、さっき軍艦島の第一作目のお話が出ましたが、ver 2.0というのは、どんなものだったんですか?
T フレームを駆使したサイトでした。使用する写真は、ver1.0は全部カラーだったんですけど、一度、白黒に加工し直して、ミドリにちょっとグレーを掛けたような色と黄土色の二色使いにしました。それで画面の左側だけでも3つ位フレームで切って、ボタンを押すと地図に示した地点が写真に切り替わるという、見た目はフレームなんか使っていない、ひとつのページなんですけど、実はすごく複雑なフレームで切ってあるというサイトを作りました。それがウエブデザイン的に評価が良かったんです。それで「軍艦島ver 2.0を見よう!」っていう感じでリンクが増えてきたんです。それが96年くらいの話ですね。同時に、その頃「apocalipse」っていうサイトも持ってたんですが、毎月、どっかのインターネット雑誌には掲載されてましたし「SHIFT」っていう、アート系のデザインやカルチャーを発信するサイトで、大々的に取り上げられた時は、色々なデザイナーさんが見てくれてメールくれたり。その頃から、だんだんウエブデザインの世界で自分の立ち位置が出来つつあったのかなと。

当時付き合ってた人と結構ヘビーな別れ話があって。(苦笑)
(軍艦島ver 3.0 製作を)半年くらい狂ったようにね。(笑)
J 90年代後半頃の個人サイトに係わる状況ってどんな感じだったんでしょうか? 今のお話は凄く進んだ世界の話に聞こえましたけど?
T 当然、今のように誰でも持ってるという状況じゃなかったですけど、(サイトを持ちたいという)熱は凄かったですよ。とにかく自分のサイトを持つことがクールで、クラブとか行っても名刺代わりにサイト紹介し合うのが、一つのステータスになってたり。
J 当時、まだサイトを持ってる人は少なかったでしょうしねえ。
T それもあるでしょうし、クラブとかに行くとサイトを持ってる人が集まってたりしたんですよ。デザイナー連中とかね。そういう人達が「あー、apocalipseね。知ってる、知ってる」みたいな。「あれ、カッコイーよね」みたいなね。タロヲっていう名前もサイトのおかげかその当時、知る人ぞ知るくらいにはなってたんですよ。だから「タロヲさん来てるよ」って、誰かが誰かを紹介してくれたりして。それで「ああ、どっかで見てくれてる人がいるんだ。じゃあ、もっと面白いものを発信していきたいなあ」みたいなことを意識し始めて。それが99年くらいかな。その頃、海外のサイトを、よく見てたんですよ。ちょうど「flash」が成熟し始めてた頃で。その海外サイトを見た時に、ガツーン! とやられまして。そして作ったのが「軍艦島 ver 3.0」なんです。日本のサイトの状況というのが、とにかくフレームをブラウザーありきでデザインしてるものが多いんです。それが海外ではブラウザーから作ろうとするぐらいの勢いで、もの凄い自由な発想で作ってるんですよ! インターネットで見てるんだけど、ひとつのアプリケーションみたいな感じ。これはアリだなって思いました。それで軍艦島も、極端に言えば「ひとつのアプリケーションみたいなものを作ってみよう」「CD-ROMを購入してPCに入れると始まるようなもの」をウエブ上で公開しようと思ったんです。それに映像や音をゴリゴリ入れようと。で、個人的にも、ちょうど失恋・・・、当時付き合ってた人と結構ヘビーな別れ話があって。(苦笑)
J ああ、なるほど。(苦笑)
T もう土日はやることないから、半ばヤケクソ気味にとりあえずそれに没頭しようと思って、半年くらい狂ったようにね。(笑) 1000時間くらいかけて、あれを作りました。
J いいエピソードですね。男性からの高感度UP! 間違いなしですよ。(笑) しかし、1000時間っていうのは凄いですよね。でも何時間で作れるのか想像もつかないっていうのが正直なとこですけど。(笑)
T 土日なんて平気で40時間位かけるっていうのが半年位、かな・・・。
J すげえ!(笑)
T 軍艦島のサイトを作るにあたって、表現にリアリティを持たせたいと思ったんです。その為には地図とかを、ちゃんと見せる必要があったんですね。例えば建物の形・ボリュームとかをね。だから時間はかかるけど、ひとつのライフワークみたいなことで、やればいいと思ったし。データ的なものって、作れば作るほど確実に、完成度が高まるんですよ。だから、どうせ作るものであるなら、作りたいと思ってるうち、熱いうちに作ってしまおうと。で、軍艦島の上空から見た地図をネットで入手出来たんで、あとは自分で撮影した写真と映像を基に一戸、一戸、建物を描いていったんです。「この建物との関係でいうと、こっちの建物は、これ位の高さだな」とか「ディティールは一箇所これだから、残りは全部これで行こう」とかって、ひとつひとつの建物の推理モデルを作って、ブロックの上に配置していって。半分位出来てくると後は楽しくて仕方なくなってくるんですよ。
J そうなんですか!?(笑)
T みんな「そんな面倒くさいこと・・・大変だったでしょ?」って言ってくれるんですけど、それはモノ造りをしてない人の意見で、プラモデルでもなんでも半分位までくると絶対楽しくなってくるでしょ? 自分でもトランス状態になってきて、最後には「そこまでしなくても・・・」っていうものまで作ってしまう程、どんどんリアリティを求めていくんですよ。そんな訳で推理モデルを作るのに時間がかかりましたけど、フラッシュは1週間位かな。音楽は(実際の)軍艦島を見たときから頭の中で鳴ってました。(笑)
J 海外サイトの作りに衝撃を受けたとおっしゃいましたが、具体的にインスパイアされたものは、あったんでしょうか? (j-in から見て)軍艦島のビジュアルって、表現が(他サイトと比較して)突出してるんですよね。
T 「軍艦島 ver 3.0」を作る前に「BLADE」っていう映画を見たんです。主演はウェズリー・スナイブスだったかな。あの映画の渇いていながら艶のある空気感が大好きだったんですよ。あれも最初はモノクロで赤の文字が、スパーン、スパーンと入る。ちょっとノーマルなスピードで入る、その厳しい空気感みたいなものが好きで、(軍艦島の)イントロはモロ、その影響を受けてるんです。モノクロームの世界で赤の文字がパシーン! と出て、でも超高速で回転しているものと、ゆっくり動くものと・・・。高速道路での車のタイヤの回転って速いでしょ? でもホイールがゆっくり逆回転して見えたりするじゃないですか? 僕、それが結構好きなんですよ。音楽でいうとドラムンベース。一時「ジャングル」なんていう音楽が流行りましたけど、あれは超高速回転のドラムに民謡のような、うねりのあるメロディを乗せることで、独特な世界観を出すんです。僕はそれを「時間軸のメリハリ」って、言ってますけど。
J 僕も最近「RIDDICK」という映画を観たんですけど、あれもそんな感じでしたね。
T そうですね。「MATRIX」なんかもそうですね。ちょっとこじつけですけど、先程の絵の話で「抜くところと入れるところのメリハリ」だったり、強弱でインパクトを出していく。そんな所を意識してましたね。そんなことも含めて「軍艦島 ver 3.0」は、自分の中にある色んな表現したい欲望の塊みたいなものが、一番自分らしい形で出た作品でしょうね。
J コンテンツ用の素材は大学時代の旅行で撮られた写真だけですか?
T じつは社会人になってから、もう一度行ってるんです。軍艦島のBBSで「行こう!」という話になって、有志7人くらいで行ったんです。
J でも正式には行けないんですよね?
T 行けないです。でも当時、軍艦島が炭鉱閉山30周年ということで、よくニュースになったりしてたんで、サイトのアクセスも物凄いことになってたんですよ。長い間更新もしてないんですけど、サーバーが止まりがちになるくらいアクセスがありました。みんな行きたかったんじゃないですか?(笑)
J それに去年あたりから廃墟ブームですしね。ところで軍艦島のどういう所に魅力を感じますか?
T うーん、色々あるんですけど、やっぱ物凄く特異な空間ですよね。日本でありながら日本でない。時間も止まってる・・・。元々、九龍城とかが大好きだったんです。行ったことはないですけど。あれが世界最高レベルの人口密度の島であるっていう事実も異様ですしね。
J あそこは人が住んでたって、ちょっと気味悪い所ですよね。
T そう、そう。最終的にはノスタルジー的な雰囲気に惹かれるのかなあ・・・。僕は廃墟が好きな訳じゃないんですよ。軍艦島が持ってる世界観が好きなんです。サイバーパンクとかアキラの世界観にも通じた所でしょ?
J そうですね。
T 九龍城もそうですけど、パイプむき出しで電灯がジーッて点いたり消えたりするような雰囲気が、すごい好きですね。神戸元町のガード下とかも好きでスケッチしに行ってましたから。子供の頃は無人駅にすごい惹かれてたんですよ。単線の駅で電灯がポッと点いてて、電車が何時間後かに着く。みたいな駅が好きだったんです。子供の頃から、きれいな華やかなものを見ても、あんまり感動しない・・・。
J ちょっと言い方が難しいんですけど、タロヲさんの作ったサイトは映画のような、ストーリー性を感じるんですよ。
T いやあ、写真を見せてるだけでストーリーもなにも無いんじゃないですか?(苦笑) ただ、単に写真を見せるだけじゃなくて、一応文献なんかも調べて「興味本位で紹介してるんじゃないよ」とか「デザイン(が出来る)だけじゃないぞ」っていうフォローを入れたかったのかな。あとね、自分が作るにあたって絶対に尻すぼみになるのはイヤなんです。ラストに向かって、どんどんテンションが上がっていくのが好きなんです。緊張感を最後まで抱かせながら見せたいんですね。他のサイトで、よくイントロだけ凄くて中身を見たらたいしたことないっていうのがあるでしょ。あれはイヤなんですね。まずイントロでガツン! といわせて、中へ入ったらイントロなんか霞むくらい凄いコンテツが広がっていた。というのを常に見たいですから。
J イントロだけのサイトって「そんなんやったら最初から作るなよ!」って思いますよね。
T そうでしょ?(笑) 自分が残念な思いをしてるから判ることですよね。だから僕、イントロは、いつも最後に作ってるんですよ。この軍艦島にしてもそうです。正確にいうと、まずイントロのイメージ・骨組みを頭の中で作って、それから中のコンテンツを作りつつ、イントロの細部を煮詰めて、出来上がりつつあるイントロに合わせながら、また中のコンテンツを調整して。という風にして、最後にイントロを完成させたんです。

一生クリエイターでいたいんじゃないかなと思いますよ。
J なるほど。では、オリジナルで作られたモノで、2番目は何になるんですか?
T (軍艦島 ver 3.0より)「balineese chicken mask」の方が前で、99年7月1日公開です。その後、家内と・・・、それまで僕、全然出歩かなかったんですよ。(軍艦島 ver 3.0を)公開するまでは、どこも遊びに行かないと思ってましたから。公開して、そのはずみで渋谷へ遊びに行ったとき、たまたま今の家内と出会って、それからの1〜2年は仕事でモノは作りますけど、個人としてモノを作るということが出来なくなったんですよ。(苦笑)
J 出しきったんですか?
T ですかね。出しきったということと、付き合い出した当初だから、とりあえず遊ぶこと、制作から離れることが自体が逆に新鮮だったんですね。で、ある日、自分の中でふと不安になるわけです。付き合う前までは、勢いでモノを作ってたのに、こうやって作らない期間が長くなってくると、また自分で情熱を持ってモノを作るという世界に戻って行けるのかなあって。それで自分のサイトである「apocalipse」をリニュアルしようと思って、色々喘いだ期間が半年くらいかな・・・、あって。また「周囲を出し抜いてやろう」的な思いが湧いて、映像を駆使してそれなりにカッコ良いものを作ったんですけど、軍艦島を公開した後だけに「それ程、みんな驚かないんだろうな。そんな中途半端な状態になるなら辞めよう」と思って公開しなかったんですよ。それから、2001年に家内と新婚旅行でタヒチに行く訳です。その頃は、もう次に表現したいものを探すことにも飢えていて。タヒチに行くんだから、そこで撮った写真で、面白いものでも作ってそれで「軍艦島だけじゃない所を見せてやろう!」という考えで作ったのが「tahiti-EXOTICA」です。あのサイトは、家内がフード関係のコンテンツの部分で携わってまして、食事の写真を出すんですが、見せ方を工夫して他のコンテンツの写真と組み合わせて遊んでみよう。っていう試みをしています。
J で、タヒチの後が「hide-city」ですか? これは仕事として作ってるんですよねえ?
T そうです。これは、さっきの「tahiti-EXOTICA」のサイトを見た、ある音楽プロデューサーが「軍艦島とタヒチは凄いよねえ!」「あるミュージシャンのサイトを作るとき、力を借りたい」って言ってくれて。それがhideさんのサイトだったんですけど。横須賀に「hide MUSEUM」っていうのがあって「ミュージアム自体はリアルなモノだから有限の存在だけど、ウエブ上では無限の存在になれるから、タロヲさんなりの考えで色々表現してくれ」ってことで。その「hide MUSEUM」っていうのが実際、カッコイーというか美しい建物で、船みたいな・・・、未来の船みたいで。夜になると建物の下がパーッと発光するんですよ。ポリカーボネイトで覆われたライトから柔らかい光がパーッとね。それで「これはもう、朝・昼・晩の景色を全部入れたら絶対、面白いな!」と思って、定点観測みたいなことをやりました。で、ひとつどうしてもhideさんのサイトで、やりたいことがあって。何かというと、アクセスする時間によってミュージアムの表情を変えるってことなんです。アクセスの時間によって行けるフロアが変わったり、コメントが変わったりするっていう・・・。これをフラッシュで処理するんです。普通のサイトでも、アクセスの時間によって「おはよう」とか「こんにちは」って言うのがあるでしょ。それをコンテンツレベルで採用するぐらいのものにしようかなっていう。あと、軍艦島やタヒチで表現しきれなかった、よりサイバーな部分を全面的に出しつつ、hideさんのミュージシャンとしてのキャラクターを前面に出すようなサイトを・・・。まあ、クライアントさんの意向に従って作ったという面も沢山ありますけど。
J 今後のタロヲさんの仕事の請け方として、タロヲさんの作家性を踏まえた上でのオーダーを受けて行きたいか、クライアントのニーズ、意向に沿った仕事を請けていくか? どっちの方向に進みたいですか?
T 今、僕は完全なフリーじゃないでしょ? 会社の仕事をしながらフリーの仕事も請けてるっていう状態です。フリーの仕事は作家性みたいなものを、割と尊重してくれているという環境です。会社の方は、それが全く制御の効かない環境で、面白くも、なんともない(笑) サイトも作ってるんですけども、僕は、ずっと両方やって行きたいなと思ってるんですよね。最近は文章を書いたり、本の装丁をしたり、ウエブじゃない仕事も入ってきたりして、それがどういう方向に転んでいくのかは判らないけど、映像でも写真でもなんでも良いですから、自分を出して行けたらいいな。と思います。そうなれば本業のウエブ製作の方にも必ずフィードバックされて行きますから。
J 本業は、あくまでもウエブデザイナーですか?
T ウエブはメインでやっていきたいと思ってます。ただウエブデザインというか、僕はフラッシュデザインって呼んでますけど。
J 映像の方は、どうですか? ビデオでもフィルムでもいいんですけど?
T 映画は、僕は観る方でいいです。(笑) 自分が制御しきれる範疇というか、世界は自分なりに、わきまえてるつもりで。(笑)
J 仮に、(映画を)ひとりで作るとなってもですか?
T 軍艦島を作ったときのように、テーマや素材があれば作るかもしれませんけど。ウエブの面白さっていうのは、その中に人が出入りするっていう箱庭的世界じゃないですか? 僕には年子の妹がいて、結構ママゴトが好きだったんですよ。ちょこまかと細かいディティールであっても、それを何かに見立ててっていう。男の子で言えばジオラマの世界のプラモデル。そんな見立てが好きだった人がウエブの世界で活躍している人って多いと思うんですよ。要するに自分の中で完全に制御しきれる世界、
ウエブがちょうどいいんですよね。映画は僕にとってはデカ過ぎ・・・。予算にしても人のブッキングにしても、クリエイティブな部分以外での神経に費やすことが多そう。その辺のマネジメントは他人に任せたい。あと、もともと絵を描いてた人間ですから。映画は絵を描くこととは、そんなに近くはないんですよね。
J 黒沢(清)監督が、うちのサイトで「僕は写真のことは判りません」って仰ってました。
T あ、なるほどね。僕、一時期「音楽もやりたい、やりたい」って言ってたんですけど、今は純粋に聴く側で楽しみたいですね。それにウエブは、すごい可能性を持ってるんですよ。ウエブで映画的な表現をしている人も出て来ているし。僕の場合は絵をやってたから、絵の持つ強さとか、マチエールとか手触り感とかは、自分なりに判ってるんですよ。だいたいウエブって手触り感が感じられることがほとんどないでしょ? だから究極的には温度を感じさせるサイトが好きだし、そう言うサイトを作りたいんです。温度といっても別にそれが限りなく冷たい、クールなものでもいいですよ。ウエブって何かと無機質って言われがちじゃないですか? それを覆したいが為の「軍艦島 ver 3.0」であったり「tahiti-EXOTICA」なんです。「響美会」なんて、まさにそうですね。あの音感、色合いがね。さっき、ウエブは箱庭的っていいましたけど、ウエブの世界は単なる箱庭じゃないですよね? キーボードの前に人が座って、響美会のサイトに人が入ってきて、写真をカーソルで触るとボヨ〜ンと飛び出してくる。インタラクション(双方向性)っていう要素も大きいですよ。
J そうですね。さて、終了時間が迫ってきました。今後、タロヲさん御自身はどういう風になっていきたいですか?
T 「それを聞かれたら困るな」と思ってたんですよ。というのが、僕、誰にも言ってないんですけど、今は流れに沿っていくしかないんですよ。(笑) 僕が20代の若い頃は、「この歳で、こういうことをやっていたい」というようなことを割と強く思いながら過ごしてたんですけど、余りにも身の回りの環境やウエブ自体の状況が変わってきてるから。今はウエブメインで仕事をやりつつ、ウエブ以外の仕事も面白いなと思いながら、こういう取材も受けるような状況になって、そういう状況のひとつひとつで、コロコロ自分の考えも変わっていくんですね。だから「僕は、この仕事で食っていくんだ!」っていうことは、むしろ無くて。ひとつの転機で面白い方向へ転がっていくなら、それでいくのも悪くはないし。ただ自分の根底にある「表現したい!」っていう気持ち、表現する理由は、多分小さい頃からの僕のキャラが反映されているものだと思うんですよね。「誰かを驚かせたい」だの「インパクトを持って表現したい」だの「温度」だったり「手触り感」だったり。ただ究極的には誰も表現出来ないものを表現したいんですけどね。それが難しいんですけど。でもそれを思い続けながら「軍艦島 ver 3.0」だの「tahiti-EXOTICA」だの「響美会」を作っていたら、「あれ、タロヲさんっぽいよね」って言ってもらえるという事は「自分のスタイルのようなものが出来てきてるのかな」と思います。だからこれからも、ウエブメインで「次、これやりたい」「次・・・」って感じで、やっていくんでしょうね。
J 一生、クリエイターですか?(笑)
T う〜ん、会社的には微妙でしょうけど。(苦笑) 一生クリエイターでいたいんじゃないかなと思いますよ。僕は、ひとつ表現し終わっても次の表現に対して「もっともっと」って思うんです。昔、親に「あんたは、やれば出来る、もっと出来る」って言われ続けたことが、トラウマ(?)になってるのかもしれません。(苦笑) 軍艦島が出来たときも「自分は、まだ出したいことの100分の1も、やりきれてないんじゃないか・・・」って思ったんですが、まだまだ自分の可能性に対して自分自身が期待してるんですよね。
   

(後編終了)


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